ベル歯科医院からのお知らせ

通院患者さまより鉄道切符をご寄贈いただきました

2025.03.09

※ベル歯科医院は神奈川県海老名市にある「歯医者さん」です

当院では、過去4回にわたり「鉄道写真コンテスト」を開催しました。
→過去のコンテストはこちら

院内には小田急線の路線図が貼られています。

歯科医院なのに・・・ なぜ?

なぜなら、ベル歯科医院の院長は大の鉄道好きだからです!

そんな当院に、通院患者さまより鉄道切符をご寄贈いただきました。
古いもので昭和30年代の切符など約100枚ほどあり、来院した方に見ていただけるよう院内に掲示をしております。

今回は、掲示中の鉄道切符について詳しくご説明いたします。

硬券

硬券とは厚紙に文字が印刷された切符です。
昭和40年代頃までは駅の出札窓口で駅員さんが印刷された切符を1枚ずつ取り出して乗客に販売していました。
現在は自動販売機やプリンターから印刷する切符が大半となり、硬券を見かける事は極めて稀です。
昭和30年代に実際に使われていた鉄道切符のコレクションをご紹介します。

A 急行券・座席指定券

特急券や急行券、座席指定券には高さ3センチの「A券」と言うサイズ規格の切符が使われていました。

番号 種類(発行年) 解説 備考
1 小田急、特別急行券
(昭和40年)
箱根湯本から新宿までのロマンスカー特急券

「第4きんとき」は箱根湯本17時12分発、新宿着18時34分着、所要時間1時間22分でした。現在、同時間帯に走るのは箱根湯本17時2分発、新宿着18時28分の「はこね64号」で所要時間1時間26分。60年前の方が途中停車駅も小田原のみで少なく、所要時間も短かったのです。

ロマンスカーの列車名には、「きんとき」、「乙女」などさまざまな名称座席番号は現在と違い100の位に号車、下二桁は1から始まる通しの座席番号となっていましたがありました。
切符には列車名「第4きんとき」の他に列車番号「2030」も表記され、時刻表にも列車番号が記載されていました。
2 普通乗車券+準急行券
(昭和40年)
外房線大原から山手線内までの乗車券と準急券

現在の「外房線」は当時「房総東線」と呼ばれ、「山手線内」は「東京電環」(電車環状線の略)と表記していました。

昭和30年代から40年代中頃にかけては、急行よりも停車駅が多く、料金も安い準急(準急行)と言う優等区分があり、房総方面へは新宿・両国を起点とする準急「外房」「内房」などが走っていました。
3 準急行券+座席指定券
(昭和39年)
「おくいず」は東京~伊豆急下田の準急

全車指定席の行楽用列車で沿線の各駅でのみ指定券が発売されていました。同区間には他に「あまぎ」「伊豆」もありました。同じ区間でも複数の列車愛称が走っていましたが、昭和40年代には次第に一つの名称に統合されました。

準急は原則自由席で、指定席に乗る場合は、別途座席指定券が必要でした。この切符は新宿駅で発行しているため、発駅(伊豆熱川駅)はゴム印で記入しました。
4 準急行券+座席指定券
(昭和39年)
「準急ゆけむり」は上野〜石打間の1日1本の行楽用臨時列車で、全車指定席で運用されていました。 この切符は発駅で発行しているため、発駅・出発時刻はあらかじめ印刷されていました。
5 特別急行券
(昭和37年)
列車名「富士」は由緒ある愛称で、日本を代表する列車につける伝統があり、東海道新幹線開通前は1961年より東京~神戸、宇野間の電車特急として走っていました。特急「富士」は1912年から東京~下関間(愛称は1929年に公募で命名)、新幹線開通後は、2009年まで東京駅と九州を結ぶ寝台特急として約100年走りましたが、現在は使われていません。 特急は「特別急行」と称し特別扱いされていました。東海道新幹線開通前の東京~大阪間特急列車は、1日に7本程度、所要時間は6時間半で運行されていました。東海道本線を走る大半は急行急行列車でした。
6 小田急、特別急行券
(昭和40年)
「あまぎ」は東京~伊豆急下田の急行

1日1本の「おくいず」とは異なり、1日複数本が走ったため「第5」などの番号が振られていました。

昭和39年に準急だった「あまぎ」は、昭和41年には急行に昇格しています。

B 長距離切符

横長の「D券」は2枚1組の往復乗車券や乗車券と急行券のセットで利用されていました。

番号 種類(発行年) 解説 備考
7 特急券
(昭和41年)
「やまばと」が磐越西線をわずか3年間走った時の貴重な特急券

「やまばと」は上野~山形の特急列車のイメージが定着していますが、昭和40年10月~43年9月までの3年間は東京~山形・会津若松の特急として走り、郡山で切り離しを行っていました。

発行駅の塩川は会津若松から3駅先で特急は来ない駅ですが、会津若松発の「やまばと」の利用者が一定数あったため、特急券は常備されていたようです。特急券は発駅と時刻は印刷され、日付と座席番号のみを記入する様式です。
8 乗車券+急行券
(昭和40年)
東北本線福島駅から東京都区内までの乗車券と急行券 横長の切符の左半分は乗車券、右半分は急行券でセット販売。本来は別々の切符であり日付左右刻印され入鋏も2か所にあります。切符を中央で切り離しても有効 です。

C 普通乗車券他

近距離切符、座席指定券にも「A券」は利用されていました。

番号 種類(発行年) 解説 備考
9 乗車券
(昭和37年)
逗子→渋谷

経由に注目。「反町経由」は横浜から東横線経由で渋谷へ行くことを示しています。

現在では複数の会社にまたがる「連絡切符」は稀になりましたが、駅の出札窓口で販売していた時代は、国鉄+私鉄の切符は珍しくありませんでした。
10 乗車券
(昭和42年)
松田→沼津 御殿場線の乗車券

東海道本線経由ではないことを明示するために「山北経由」と記載しています。

当時は20km以上の区間は200kmまで2日、途中下車も可能でした。現在では当日限り有効、途中下車不可で制約が多くなっています。
11 座席指定券
(昭和40年)
急行「越路」新潟→上野

新潟発22時35分、上野着6時12分、所要時間7時間37分の夜行急行として走っていました。

現在は上越新幹線で2時間前後で走破しますが、当時は上越線・高崎線経由の特急で4時間40分、急行で5時間20分から7時間半あまりかかりました。

D 特殊切符等

切符サイズが高さ25mmの「B券」は近距離切符や自動販売機で利用されました。

番号 種類(発行年) 解説 備考
12 振替乗車票
(日付なし)
不通区間が生じたときに発駅で緊急に配る振替乗車票 緊急時に配布したため、日付刻印や着駅の指定は未記入、入鋏も省略して駅員が急いで手渡していたと思われます。
13 復路専用乗車券
(昭和36年)
信越本線と上越線が分岐する宮内駅は特急・急行列車は通過し、一駅先の長岡で折り返す運行形態になっています。
長岡で降りない乗客は宮内~長岡は無料で乗ることができますが、長岡で途中下車したい乗客は宮内~長岡間の乗り越し運賃を払って外に出ることができます。長岡からは「復路専用乗車券」という乗り越し区間のみの乗車券を買いました。
分岐点通過列車に対する区間外乗車という例外ケースでの特殊切符
14 入場券
(昭和38年)
信越本線の横川駅

横川~軽井沢間は急こう配の難所で、昭和38年から長野新幹線が開通する1992年まで特殊な電気機 関車が列車を牽引していました。

横川駅は峠の釜めしで有名。現在は信越本線が高崎から横川まで残っていますが、その先(横川~軽井沢)は廃線 となり鉄道で行くことはできません。

E 近距離切符

近距離切符や入場券は切符サイズは高さ25mmの小型サイズ「A型」でした。

番号 種類(発行年) 解説 備考
15 乗車票
(昭和35年)
新橋駅から最低運賃(10円)の切符 目黒、大井町、信濃町、田端、三河島、錦糸町までの10km以内が最低運賃でした。現在は180円です。
16 乗車券
(昭和37年)
東京駅から最低運賃(10円)の切符 新橋、御茶ノ水、御徒町までの3km以内が最低運賃。
昭和35年に比べて最低運賃の範囲が狭くなっています。
17 乗車券
(昭和37年)
大塚駅から最低運賃(10円)の切符 昭和35年は最低運賃で山手線内の半分以上の駅まで乗ることができました。

切符はベル歯科医院 新館1階に展示しております。
ご来院の際は、ぜひご覧ください。

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